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町家ガイド 神社・寺・史跡等 特徴別町家ガイド
大宇陀・松山地区町家ガイド松山地区には約200軒の伝統的な建物等がありますが、ここではその一部をご紹介しています。
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※地図の青い番号のついた名前をクリックすると説明にジャンプします。
 
01植田家住宅 ページTOPへ
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Point
・スリアゲ戸
屋号を「鍵屋」といい、油を商っていたこともあって通称「あぶらや」とも呼ばれる。建物の様相から江戸時代末期の建築とされ、中規模で典型的な町家。敷地は間口7間強と広く、そのうち東3間は敷地を購入して増築したもの。主屋の表のすべての柱間にスリアゲ戸の溝痕跡があり、表構えはすべての間口がスリアゲ戸であった。
 
01 旧福田医院 ページTOPへ
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大正14年頃に建立された洋館。福田家は3代に渡って内科・小児科の開業医をしており、この建物を医院として昭和2年から56年頃まで利用していた。現在は、洋館の1階部分は医院に利用し、洋館2階と接続する居住部分は和風のつくりになっている。診察室は大壁づくりで、天井は折上げ天井。敷地には蔵や離れなどもある。
 
03 森田家住宅 ページTOPへ
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Point
・格子
・スリアゲ戸
片側入母屋・つし2階・桟瓦葺・平入の伝統的町家。1階前面の戸袋に「五龍園」の薬の看板があるのが特徴的。江戸時代後期の建築と考えられる。屋号を「諸木野屋」といい、薬を含めた雑貨を商っていたが、明治初年には商売をやめたと伝わる。現在居住者はおらず、部材の傷みがある。主屋の背面には離れザシキが付いている。
 
04 竹田家住宅 ページTOPへ
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Point
・格子
・虫籠窓
・2戸1町家
200年ほど前の江戸時代末期の建築と伝えられている、切妻・桟瓦葺・平入の伝統的な町家。通り土間の向かい合う2戸を1棟として使用した、大型の2戸1町家。1階正面には格子戸がはめ込まれ、大屋根と庇には丸瓦が二列に並んでいる。白漆喰が厚く塗り込まれた2階には、意匠の異なる虫籠窓が三種類あり、重厚な雰囲気。
 
06 川尾家住宅 ページTOPへ
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Point
・格子
・虫籠窓
・スリアゲ戸
正確な年代は不明だが、外観構造などから江戸時代末期のものと考えられている。元は豆腐屋を営んでいたが、現在は専用住宅。切妻・つし2階・桟瓦・平入の、典型規模の町家である。表には格子・格子戸があり、この地区においてはここだけしか見られない菱形の虫籠窓を持つ。スリアゲ戸の痕跡もある。
 
07好岡家住宅 ページTOPへ
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Point
・格子
・虫籠窓
明治20年代に建てられた大型の町家。玄関左には、大和地方の古い町家の特徴である台格子がある。取り外すことができない作りつけの台格子は、はめこみ式が多いこの地区では珍しい。玄関右には千本格子が入り、その上には欄間があって繊細な雰囲気。それとは対照的に、漆喰の大壁がある2階には、虫籠窓が設けられている。
 
08大宇陀歴史文化館 ページTOPへ
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唐破風付きの「天寿丸」の看板が目を引く、松山地区のシンボル。現在「薬の館」として町が管理し公開している。間口は8間半と広く、3列タイプの町家でザシキ列の屋根が一段高くなっている。北の2間半のザシキ列は増築である可能性があり、中央部を含む主体部は明治に入って大改造を行った。江戸時代末期の建築とされる。
 
09山邊義徳家 ページTOPへ
Point
・格子・虫籠窓
・スリアゲ戸・犬矢来
切妻・つし2階・桟瓦葺・平入で、規模は間口7間、2列6室の居室構成でシモミセを持つ。江戸時代中期の建築である当家は、この地区の中でも最も古い重要な町家。かつては宇陀紙の総元締めを家業としており、「山邉長助」を世襲、藩札の原版や宿札などが残っている。格子、スリアゲ戸の痕跡、5つの虫籠窓などが見られる。
 
10都司家 ページTOPへ
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Point
・座敷玄関
主屋には明治4年の愛宕祈祷札があり、明治元年頃の建築と伝わる。屋号を「更紗屋」といい、辻本姓を名乗っていたが、都司となった。2列6室タイプを基本とした間取りで、土間側に広縁を持つ。1列目表に座敷玄関があり、慶恩寺の普山式の時には都司家が僧侶の支度控えに利用され、その時にこの玄関から僧侶が出入りした。
 
11黒川本家 ページTOPへ
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Point
・格子・虫籠窓
・スリアゲ戸
・座敷玄関・子持ち長屋
切妻・つし2階・桟瓦葺・平入で、間口10間半、2列5室の間取りで前土間がある。愛宕祈祷札に寛政3年とあり、この時期よりもう少し古い建物であると思われる。屋号は「山ノ坊屋」といい、一時期薬も売っていたが、代々葛を商っている。作家の谷崎潤一郎も愛した店。南3分の1を貸家とした子持ち長屋であったとされる。
12林家 ページTOPへ
Point
・座敷玄関
文政11年の棟札が残る大型の町家。屋号は「拾生屋」であるが、「多葉粉屋」と言っていた時期が古く、タバコを扱っていたらしい。間口が9間と大きく、3列9室を基本とする間取りで、新座敷が鍵の手に突き出している。3列目に入るための座敷玄関があり、当初は2列6室であった町家に、3列目と新座敷を増築したらしい。
 
13森岡家 ページTOPへ
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大宇陀では珍しい妻入で、表側は入母屋の屋根形式の町家。主屋は大正時代末期に建てられたと伝わる。昭和10年頃料理旅館を創業し、その際に主屋の奥に離れを増築。屋号を「森藤」といった。その後旅館は廃業し、昭和50年頃に診療所を開院した。敷地は間口が狭く奥行きが長く、主屋の奥に庭をはさんで離れが建っている。
 
14大宇陀福祉会館 ページTOPへ
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もと町役場の建物で、棟札から明治36年の建築であることが分かっている。入母屋造り、平屋建、桟瓦葺、平入の建物で、正面中央に切妻造りの玄関が張り出している。大正4年の「奈良縣風俗誌」に略平面と正面図があり、当時の建物の様子を示している。土木事務所他、様々な用途で利用されていたが、現在は福祉会館として利用している。
 
15久保酒造 ページTOPへ
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Point
・格子・犬矢来
・虫籠窓
切妻・桟瓦葺・平入、間口10間半の大規模な建物。黒漆喰の外壁が美しい伝統的な町家。主屋の入口には、酒屋の象徴である杉玉がかかっている。当家は元禄15年に創業した造り酒屋で、大正期には全国でも数十台しかなかった車を購入、奈良交通の前進となるバス会社を始めた。現在の主屋は明治42年に建て替えたもの。
 
16芳村酒造 ページTOPへ
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Point
・卯建・格子
建立年代は昭和16年と新しいが、格子・卯建・黒漆喰・前栽など伝統的要素を持った町家。造り酒屋の店舗併用住宅。片側入母屋・桟瓦・平入の建物で、敷地の中には主屋の他に、RC造の工場・蔵・離れがある。特徴は入ってすぐの洋室で、伝統的な表構えの町家の中に洋室を作った点。主屋正面南側には2段の卯建も見られる。
参考文献「せせらぎと手わざの町〜大宇陀・松山(松山・神戸地区伝統的建造物群保存対策報告書)」大宇陀町教育委員会編
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