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散策ノススメ
「散策のススメ」
松山地区まちづくりセンター
散策ノススメ その24
町家の創建時期を知る
〜江戸時代の町家の特徴〜
 まだまだ暑い日が続いていますが、間もなく季節の変わり目です。散策に適した季節の到来に心が躍ります。
 さて、大宇陀には、広範囲にわたって町家が数多く残っています。町家とは、広い意味では武家住宅ではない都市(城下町・在郷町・宿場町等)の庶民住宅全体をさしますが、狭い意味では通りに面した場所に建てられた、商人ないし職人の住宅をいうこともあります。門以外は塀で囲って主屋と表通りとの関係を絶っている武家住宅とは異なり、表通りに面して開放的な(スリアゲ戸、大戸、格子、木製ガラス窓等、表通りと視線が通る)構えを持つ町家は都市空間をかたちづくる上で重要な役割を持っています。
 町家の形式は地域によって異なり、地域の様式に則って建てられた伝統的な町家にも、江戸、明治、大正、昭和と各時代の状況が反映され少しずつ印象が違ってきます。今月から11月にかけては時代による違いについてみていきます。
 町家の時代判定をする際、一番わかりやすい指標となるのが「建物の階高」で、時代が新しくなるにつれて階高は高くなります。江戸時代から明治時代にかけては「つし2階」と呼ばれる中2階の町家が建てられました(写真1)。庇が低く、深いものや、屋根勾配が比較的きついもの(写真2)も江戸のものとみてよいでしょう。江戸時代の建物は町家に限らず、屋根を大きく見せる傾向があり、大宇陀でもそれが反映されています。
 また、つし2階の壁は全面漆喰で、窓がなく壁だけ、または虫籠窓がつきます。幕末まで格子は建物の前面に使われませんので(第12回参照)、柱にスリアゲ戸の跡が残っているものも建物の歴史を示す材料になります。ただし、大宇陀の場合スリアゲ戸は大正期の町家にも使われている例が確認されており、年代に幅があるので一概には言えません。
 生活に適応させるための改変によりわからなくなったものもありますが、町家の年代を認識するためには建物の輪郭や木材の風蝕(外気の影響により木材が痩せる現象)等、複数の要素を総合して建物の年代を絞ります。近隣で建てられた「年代が明確にわかる町家の形」をまず覚え、古い順に整理する作業をするとより判断がしやすくなります。
 実際には明治時代に入っても、江戸の形がしばらく続き、伝統的な形は緩やかに移行します。従って明治時代の前半に建てられたものでも江戸の建物の面影を持ったものがいくつもあります。
 次回は、変化を始める頃、明治・大正の建物についてです。
写真1 つし2階の町家
写真2 江戸時代の町家(左)の屋根勾配

参考文献=『建築の歴史』藤井恵介・玉井哲雄 著/1995年3月/中央公論、『カラー版日本建築様式史』太田博太郎 監修/1999年8月/美術出版社、『近畿町家の住まい』林良彦 著/1995年11月/INAX
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