歴史的町並みを歩いていると、しばしば辻に建つ入母屋の町家が目にとまります。入母屋とは、写真1のような屋根の形を言います。普通は、反対側も同じ形にしますが、家が密集しているところでは、片側だけ入母屋にしている町家がほとんどです。
この屋根の形を「片側入母屋」と呼びます。大宇陀限定の特徴ではなく、奈良町・今井町・五條新町など、奈良県内の歴史的町並みでも「片側入母屋の町家」は見られます。
なぜ切妻ではなく入母屋で、しかも片側だけなのでしょうか。これは家が密集していることの他に、通りが持つ力や景観への配慮が大きく影響を与えていると考えられます。
先月、妻を見せて視線を集中させるところを作る、という話しをしました。この片側入母屋も同じように、辻に建つ家の妻を、切妻ではなくさらに手の込んだ入母屋にすることで町並みの景色を演出する傾向があったようです。今回は下町通りを例にとります。
下町通りには7つの辻があります。そのうち、4箇所で片側入母屋の町家が見られます。面白いのは、全てが下町通りと同じ方向に妻を向けておらず、本町通りの辻に建つ町家のみが下町通りに対して直角に妻を向けていることです。(写真2)
これは、辻の町家が建った当時、下町通りよりも本町通りのほうが重要な道であったことを意味しています。人通りの多さ、便利さ、町の中での位置づけなど、道の重要度を決める要素は様々ですが、重要な道からの景色がよりよく見えるよう、辻の町家に住む人々は工夫をしていたわけです。
現在、慶恩寺(春日)から万六にかけて25の辻があり、そのうち11か所に12棟の片側入母屋の町家が残っています。これらの町家の推定建築年代から、昭和初期までこの屋根の形が存続していたようですが、その後新築された辻の建物に片側入母屋の家はありません。通りの重要さを妻の向きで語り、遠目から見た景色を演出するこの屋根の形は、歴史的町並みのひとつの特徴です。これから減る一方となると、どれだけ町並みの様子が変るのでしょうか。歴史的町並みの特徴を失ったとき、私たちは何を誇りにして暮らすのでしょう。
時にはこの町並みの将来を想像しながら散策することも大切ではないでしょうか。
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