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散策ノススメ その25
調和された外来文化 〜明治・大正期の建物について〜
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虫の声が賑やかになり、秋の深まりを感じています。建物だけではなく、周囲を取り巻く自然や音・匂いにも意識が向けられると、散策の楽しみも広がるでしょう。前回は江戸時代の建物の特徴について触れました。今回は明治〜大正時代の建物です。
建築史の中では、明治時代は特に大きな変化があった時代です。開国に伴い西洋建築が導入され、次の3つの背景を持つ建物ができました。[1]欧米出身の技師が設計・監修した建物、[2]写真・挿絵等をもとに日本の大工が建てたもの、[3]欧米出身の技師のもとで学んだ日本人が設計・監修した建物です。
[1]は大阪の造幣寮鋳造場のように直輸入の西洋建築といえますが、[2]は日本の工匠のアレンジにより西洋と日本の形が奇妙に溶けあった建物で擬洋風と呼ばれ、長野県の開智学校が有名です。[3]は奈良国立博物館のように、徐々に西洋建築の解釈が進んでいる様子が伺えます。時系列で並べると[1][2]が明治初頭から、[3]が明治時代後期から出てきます。
西洋風の建物は、全国的な傾向として学校、役場等の公共建築に多く見られます。大宇陀では旧役場、元郵便局、医院の一部などが西洋風で、やはり公共性の高いものに見られる傾向にあります。元郵便局は構造面で興味深い点があり、モルタル塗りで西洋風の正面を持ちますが、横から見ると瓦屋根・漆喰壁の建物で、構造自体は日本建築のものです(写真1)。一方、旧町役場(現在の福祉会館)は一見すると和風ですが、よく見ると西洋風の下見板張りで、中身はトラス構造で屋根を支えている洋小屋になっています(図1)。
前者は視覚的に西洋のものを導入した[2]で、後者は技術的に西洋のものを導入した[3]の背景を持つ建物と推測されます。大宇陀では少数派ですが「見るからに西洋風」の建物と、「和風だけどよく見ると西洋」という新しい形の建物が明治後期から大正にかけて町並みの中に現れ、西洋の色合いが強いものよりも周囲に馴染んだ外観が好まれる傾向にあったようです。公共で新しい形の建物をつくる一方で、庶民住宅は従来通りの形を踏襲して建てられます。一般の住宅に新しい形が浸透には、もう少し時間がかかりました。
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写真1 奥は日本風
図1 福祉会館断面図※キングポストトラス
参考文献=『建築の歴史』藤井恵介・玉井哲雄 著/1995年3月/中央公論社、『日本の近代建築(上・下)』藤森照信 著/1993年10月/岩波書店、『建築構法』内田祥哉 編著/1981年11月/市ヶ谷出版社※図1は松園良仁(1999年度東京芸大建築科2年)作図
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