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散策ノススメ その26
全国規模の流行と松山オリジナル 〜昭和初期の建物〜
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夕暮れ刻が日増しに早まり、冬の訪れを感じます。格子から漏れる灯りを横目にまちなかを歩くのも風情があっていいものです。今回は昭和初期の建物についてです。
前々回では、建物が建てられた時期を見分ける指標として2階の高さを挙げましたが、昭和初期以降の建物の場合、2階は最初から居室として造られることが多く、江戸期・明治期の建物に比べると随分高くなっています。また、明治末に板ガラスの国内生産が始まり全国に普及してきた頃で、窓ガラスを入れた家が多く見られるようになります。
昭和初期には、「正面に腰壁(窓の下にあり、周囲とは違う仕上げの壁)がつく」「玄関脇に洋間を設ける」「廊下の両側に部屋が入る(中廊下)」、という具合に全国的に流行した形があります。松山地区でも腰壁が流行り、板貼り・石貼り・タイル貼りと多彩で、窓の外側には竪子が入っています(写真1)。玄関脇の洋間は、関東や京阪神では別棟で建てて外観も洋風にすることが多いのですが、松山地区の場合は外観からはわかりにくく、伝統的な町家に馴染む形で設けられています。
更に、これまで松山地区になかった形がでてきます。例えば写真2の二層うだつです。本来、二層うだつは徳島県つるぎ町独特のものですが、この家の施主がどこかで二層うだつを見てきて、すっかり惚れ込んで大工に造らせたものだと聞いています。伝え聞いて造られたためか、つるぎ町の二層うだつとは細部の収まりが大きく異なり、「松山風」にアレンジされた様子が伺えます。
戦前の建物は、「全国的な流行」を取り入れてはいますが、伝わりきらない詳細は地域で蓄積された技術で補っていたことから、結果として松山の特色がじわりと残りました。これが戦後、画一的な法規制や既製品が流通するようになったときから、「建築におけるその土地らしさ」が薄らいできた感があります。
歴史的町並みには『まちの筋書き』が残っていると言われています。格子から漏れる、ほのかに灯る明かりの先で、まちの筋書きを守りながら暮す人々に感謝の思いを抱かずにはいられません。
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写真1 ガラス窓、腰壁、竪子
写真2 松山風にアレンジされた二層うだつ
参考文献=『すまい考今学−現代日本住宅史』西山夘三 著/1989年12月/彰国社、『日本の近代建築(下)−大正・昭和篇−』藤森照信 著/1993年11月/岩波書店
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