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散策ノススメ
「散策のススメ」
松山地区まちづくりセンター
散策ノススメ その22
用途七変化
「福祉会館について」
 梅雨も終盤にさしかかり、湿気との格闘もあと少しの辛抱です。まもなく夏の強い日が射すようになりますので、涼を求めて川に目を向けるのもいいでしょう。
 宇陀川沿いには魅力的な景観が多く見受けられますが、その代表格として花ノ木橋からの景色があります。岩の井堰や変化に富んだ川面、生い茂る緑。今回はその中に調和するように建つ「大宇陀町福祉会館(写真1)」についてです。
 現在の福祉会館は、松山町役場として明治時代後期に建てられたものです。大正元年までは町役場の一区画を松山実業補習学校裁縫部が使用し、中新の旧郡役所へ町役場が移ってからは県営宇陀地方松山工営所(現在の県大宇陀土木事務所)がこの建物を利用しました。土木事務所が現在の道の駅付近に移転した後は、時期は定かではありませんが職業安定所や福祉事務所等いくつか用途が変わり、現在は福祉会館として利用されています。
 建設された約百年の間に何度も用途が変わったことに驚きます。
 福祉会館で興味をひく点は、鬼瓦の模様です。大棟(屋根の最も高い場所)、降り棟(屋根の流れに沿って軒先に向かう棟)の瓦には町の字が入っていますが(写真2)、南東の角の瓦には槌の模様が(写真3)、その少し上の瓦には学校を表す『黌』の字が入っています(写真4)。
 槌の模様が使われた意味はよくわかりませんでしたが、黌の字が使われた背景として、建物の創建時期と「松山実業補習学校」創立時期とがほぼ同じであることや、隣接していた郡立図書館(昭和7年頃に移転、現在は道路)が影響していたと考えられます。
 外観を変えずに建物を使い続けるには知恵とエネルギーが必要です。けれども、こうして伝えられた物を介して、私たちは過去の様子を知ることができます。福祉会館のように、現在の様子から過去を辿る作業に意外な発見を伴うことがしばしばあり、ここで得られる感動が、日常生活に彩を添えるように思います。歴史的町並みには、先人と私たちをつなぐヒントが至るところにありますので、そこにある建物に目を凝らし、暮している人々の声に耳を傾けてみてください。思わぬ発見や感動は、案外身近にあるものです。
写真1 花ノ木橋からの眺め
写真2 棟瓦には町の字が
写真3 槌をかたどった瓦
写真4 「黌」の字の瓦

参考文献=『松山町付近地圖』松山町/昭和8年10月、『奈良県大宇陀町全図附著名商工案内』略電話大宇陀局/昭和31年8月、『大宇陀町史』大宇陀町史刊行会/昭和34年6月、『わが大宇陀30年』大宇陀町/昭和47年4月、『新訂大宇陀町史』新訂大宇陀町史編集委員会/平成4年2月
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