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Point ・スリアゲ戸 |
屋号を「鍵屋」といい、油を商っていたこともあって通称「あぶらや」とも呼ばれる。建物の様相から江戸時代末期の建築とされ、中規模で典型的な町家。敷地は間口7間強と広く、そのうち東3間は敷地を購入して増築したもの。主屋の表のすべての柱間にスリアゲ戸の溝痕跡があり、表構えはすべての間口がスリアゲ戸であった。 |
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大正14年頃に建立された洋館。福田家は3代に渡って内科・小児科の開業医をしており、この建物を医院として昭和2年から56年頃まで利用していた。現在は、洋館の1階部分は医院に利用し、洋館2階と接続する居住部分は和風のつくりになっている。診察室は大壁づくりで、天井は折上げ天井。敷地には蔵や離れなどもある。 |
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Point ・格子 ・スリアゲ戸 |
片側入母屋・つし2階・桟瓦葺・平入の伝統的町家。1階前面の戸袋に「五龍園」の薬の看板があるのが特徴的。江戸時代後期の建築と考えられる。屋号を「諸木野屋」といい、薬を含めた雑貨を商っていたが、明治初年には商売をやめたと伝わる。現在居住者はおらず、部材の傷みがある。主屋の背面には離れザシキが付いている。 |
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Point ・格子 ・虫籠窓 ・2戸1町家 |
200年ほど前の江戸時代末期の建築と伝えられている、切妻・桟瓦葺・平入の伝統的な町家。通り土間の向かい合う2戸を1棟として使用した、大型の2戸1町家。1階正面には格子戸がはめ込まれ、大屋根と庇には丸瓦が二列に並んでいる。白漆喰が厚く塗り込まれた2階には、意匠の異なる虫籠窓が三種類あり、重厚な雰囲気。 |
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Point ・格子 ・虫籠窓 ・スリアゲ戸 |
正確な年代は不明だが、外観構造などから江戸時代末期のものと考えられている。元は豆腐屋を営んでいたが、現在は専用住宅。切妻・つし2階・桟瓦・平入の、典型規模の町家である。表には格子・格子戸があり、この地区においてはここだけしか見られない菱形の虫籠窓を持つ。スリアゲ戸の痕跡もある。 |
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Point ・格子 ・虫籠窓
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明治20年代に建てられた大型の町家。玄関左には、大和地方の古い町家の特徴である台格子がある。取り外すことができない作りつけの台格子は、はめこみ式が多いこの地区では珍しい。玄関右には千本格子が入り、その上には欄間があって繊細な雰囲気。それとは対照的に、漆喰の大壁がある2階には、虫籠窓が設けられている。 |
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唐破風付きの「天寿丸」の看板が目を引く、松山地区のシンボル。現在「薬の館」として町が管理し公開している。間口は8間半と広く、3列タイプの町家でザシキ列の屋根が一段高くなっている。北の2間半のザシキ列は増築である可能性があり、中央部を含む主体部は明治に入って大改造を行った。江戸時代末期の建築とされる。 |
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Point ・格子・虫籠窓 ・スリアゲ戸・犬矢来 |
切妻・つし2階・桟瓦葺・平入で、規模は間口7間、2列6室の居室構成でシモミセを持つ。江戸時代中期の建築である当家は、この地区の中でも最も古い重要な町家。かつては宇陀紙の総元締めを家業としており、「山邉長助」を世襲、藩札の原版や宿札などが残っている。格子、スリアゲ戸の痕跡、5つの虫籠窓などが見られる。 |
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Point ・座敷玄関 |
主屋には明治4年の愛宕祈祷札があり、明治元年頃の建築と伝わる。屋号を「更紗屋」といい、辻本姓を名乗っていたが、都司となった。2列6室タイプを基本とした間取りで、土間側に広縁を持つ。1列目表に座敷玄関があり、慶恩寺の普山式の時には都司家が僧侶の支度控えに利用され、その時にこの玄関から僧侶が出入りした。 |
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Point ・格子・虫籠窓 ・スリアゲ戸 ・座敷玄関・子持ち長屋 |
切妻・つし2階・桟瓦葺・平入で、間口10間半、2列5室の間取りで前土間がある。愛宕祈祷札に寛政3年とあり、この時期よりもう少し古い建物であると思われる。屋号は「山ノ坊屋」といい、一時期薬も売っていたが、代々葛を商っている。作家の谷崎潤一郎も愛した店。南3分の1を貸家とした子持ち長屋であったとされる。 |
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