宇陀市大宇陀区は、飛鳥時代から「阿騎野」と呼ばれる宮廷の狩場でした。松山地区は戦国時代に「宇陀三将」と称された秋山氏の本拠地、秋山城の城下町として始まります。
天正13年(1585)に秋山氏が追放された後、豊臣家配下の大名によって城の大改修と城下町の拡大整備が行われ、町名も阿貴町から松山町へと変わりました。現在の松山地区は、このときの城下町の町割りを骨格としています。
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城山に残る秋山城の石垣。破却されてから長く、城の名残を辿れるものは多くありません。 |
豊臣系家臣の時代に現在の町並みの骨格が整備され、西口関門もこのときに建立されました。 |