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神社・寺・史跡等

特徴別町家ガイド

大宇陀・松山地区神社・寺・史跡ガイド

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01慶恩寺

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松谷山菩提院慶恩寺。開山は持統天皇九年に吾城行宮を賜って堂宇としたことに始まる。その後文治2年に奈良の大仏殿再興にあたり、伽藍指図5分の1の試みとして建立された。鐘楼には無銘であるが古い梵鐘が懸かる。

 

02 光明寺

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融通念仏宗の寺院。草創は宇多法皇の時代といわれ、天正14年に法俊上人が再興。光明寺には本堂、山門のほかに小堂、書院、鐘楼がある。山門は入母屋造り、桧皮葺きの楼門で、松山・神戸地区で最も古い建物の一つ。

 

03 松山西口関門(黒門)

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福島掃部孝治が城下町への出入口として今から400年前に建築したもので、昭和6年に国の史跡に指定された。宇陀川から春日社にぬける道に位置し、付近には枡形がある。町の人には「黒門」と呼ばれ親しまれている。

 

04 恵毘須神社

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愛宕神社、恵毘須神社、愛宕寺の神仏混合社。愛宕神社は、城下町の火災防止のため、松山城主織田長頼が勧請奉祀させたといわれる。恵毘寿神社は町内の茶町から移され、江戸以来毎年2月8日には初えびすが行われる。

 

05 春日神社

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祭神、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比び大神。本殿、拝殿、神饌所、門、社務所の施設が整い、石造灯籠新古を交え35基を奉建している。当社の旧祠宮と伝える佐々岡家には祭礼記など数通の古文書を蔵している。

 

06史跡宇陀松山城跡

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宇陀松山城は、南北朝時代から宇陀に勢力をもつ秋山氏の本城であったが、天正13年に豊臣家大名の居城となり、城下町が整備された。最後の城主福島氏が元和元年に改易され、平成7年からは発掘調査が行われている。平成18年、国史跡に指定された。

 

07法正寺

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宗派は曹洞宗、延徳元年の創建と伝え、秋山氏の菩提寺であった。近世になってから織田氏の信仰を得ていた。山門は棟札から嘉永6年建築の一間薬医門。本堂は山門に先立って建立された建物で、江戸時代末期とされる。

 

08阿騎野人麻呂公園

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「阿騎野人麻呂公園」は古代の狩場であった「阿騎野」の中心施設がおかれていた場所で、平成7年の発掘調査の後、現在は遺跡公園として保存されている。公園内には柿本人麻呂像や、復原された掘立柱建物などがある。

09森野旧薬園

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享保14年、森野賽郭翁により開かれた森野薬園は、民間の薬草園としては日本最古のもので、大正15年に国の史跡に指定されている。園内には約250種類の薬草が栽培されており、今も建築当時の面影を残している。

 

10佐多神社

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町の南、万六町の東裏側の小高い丘にあり、社殿は木立に囲まれている。沿革は不明で、「朝日大神」の額を掲げる。桁行4尺ほどの小さい規模ながら、三間社、流造り、銅板葺きの建物で、明治初期の建築とされている。

参考文献「せせらぎと手わざの町〜大宇陀・松山(松山・神戸地区伝統的建造物群保存対策報告書)」大宇陀町教育委員会編

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